地名にまつわるエトセトラ
一ノ関駅西口店
観光情報2017.04.13
みなさん、こんにちわ!
突然ですが4月13日は「決闘の日」だそうですよ。
慶長17(1612)年旧暦の4月13日にあの有名な宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘が行われたということで
「決闘の日」になっているそうです。
最近皆さんは何かと「決闘」されましたか?私は日々自分との「決闘」をしています(笑)
どのような「決闘」なのかはここでは伏せさせて頂きますね。
知りたい方はレンタカーを借りにご来店頂いたときに、こっそりお伝えします!
一ノ関駅西口店からのブログもこの回で4回目となりました。
今回は地名にまつわる豆知識について書いていこうと思います!
もしかすると、なんで?と思っていた疑問が解決するかもしれません!
一関?一ノ関?
市名は「一関」なのに駅名は「一ノ関」。なぜこんなことになってしまったのか…
これにはいろいろ諸説ありますが…
一ノ関駅の開業は1890年(明治23年)。
その前年まで地名は「一ノ関村」でした。
1889年に町制が施行され「一関町」となりました。
この際自治体名から「ノ」は無くなりました。
駅建設時地名が「一ノ関」だったことと、一般的に「ノ」無しがなじまなかったため
駅名は開業以来「一ノ関」となっているようです。
鬼死骸(オニシガイ)と鬼首(オニコウベ)
一関の南側、岩手県と宮城県の県境に鬼死骸(オニシガイ)という地域がありました。
鬼とは、角の生えた鬼ではなく、遥か昔、坂上田村麻呂の東征に反抗した豪族の一人「大嶽丸(おおたけまる)」の遺体を埋めた場所・・・という意味で、明治の始めごろまでは、この地域は鬼死骸村(おにしがいむら)と呼ばれていました。
また、宮城県と山形県の県境、栗駒山の南側に鬼首(オニコウベ)があります。
鬼死骸のエピソード同様、一関で田村麻呂に討たれた大嶽丸の首が宮城まで飛んで岩にかじりついたところからこの名がついたそうです。
地名の由来って、いろいろありますねぇ。
ちょっと気味の悪い話になっちゃいましたが、現在この鬼首(オニコウベ)はひとつのリゾート地域になっています。
温泉もあり、ご家族連れにはなかなか良いスポットです。
ご家族連れといえば…
そう!!もうすぐゴールデンウィークですね!
平泉などの観光がてらオニコウベまで足を伸ばしてみるのも面白いかもしれませんよ!
レンタカーで新緑の中ドライブしてみてはいかがでしょうか?
次回の更新もお楽しみに!